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日本神話における日本武尊の東征のとき、この地の国造が謀って日本武尊のいる野原に火を放ち、日本武尊は天叢雲剣で周囲の草を薙ぎ向火を放って難を逃れたという地であると伝える。

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景行天皇53年、天皇は日本武尊の勲功の地を尋ね、同年9月20日、当地に日本武尊を祀る社を建立し、神体として草薙剣を奉納したと伝える。草薙剣は朱雀元年、天武天皇の勅命により熱田神宮に奉祀された。延喜式神名帳には「駿河国有度郡 草薙神社」と記載され、小社に列している。当初は現在地の西の東海道に面した天皇原に鎮座していたが、葦毛の馬に乗って社前を通ろうとすると必ず落馬したといい、平安時代に現在地に遷座した。

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中世以降、武家の崇敬を受け、武田氏・本多氏・豊臣氏が神域の山林を安堵した。徳川家康は天正18年(1590年)に社殿を造営し、慶長7年(1602年)には朱印地50石を寄進した。明治12年7月に郷社に列格した。
同区庵原の久佐奈岐神社(こちらも式内社)も当社と同様の由緒を伝え、江戸時代までは当社に対して「東久佐奈岐神社」と称していた。

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神社境内には、弓の練習場があり、ちょうど立ち寄った時には高校生が練習に励んでおり、神社という場で、集中して練習している光景がとても恰好良く見えました。