臨済宗妙心寺派行基が創建し、その後、夢窓国師弟子竺峰和尚が一時衰えた寺を興し、武田家の菩提所として再建しました。この寺は、境内の巨石から泉が涌き出ていたことで、石水寺と呼ばれていましたが、いつごろからか積翠寺に改められています。
大永元年(1521)11月3日、戦火を逃れて要害城に避難した信虎夫人は、この寺で信玄を出産したと伝えられています。現在も産湯を汲んだ井戸があり、産湯天神が祭られています。
寺院裏には釣鐘をふせたような山(要害山)が見えますが永正17年(1520)、つつじが崎の援護地として信虎が築城した要害城跡です。