当社の創建時期は不明であるが、『延喜式神名帳』において「相模国十三座(式内社)の内 愛甲郡一座小野神社」と記されているように、古くから神奈川県厚木市小野の地に鎮座する神社である。
当地域は古くより「小野の里」と呼ばれ、『和名類聚抄』にも記載されている愛甲郡「玉川郷」の中心地であった。霊亀2年(716年)、奈良時代の高僧である行基が薬師如来の像を刻んで当社に奉安したと社伝により今に伝えられている。
鎌倉時代には、源頼朝以来三代に渡り御家人として将軍に仕え弓の名手として名高い、愛甲村に館を置く愛甲三郎季隆が当社を篤く信仰していた(季隆を筆頭に愛甲家全体でも崇拝されていた)。
古い納札には建久5年(1194年)に当社を再興した記録があり、その時の願主に愛甲三郎季隆の名があり、また鎌倉幕府政所長官の大江膳大夫廣元の名も残っており(以降、社殿は現在までに五回改められている)、愛甲氏の本家である横山氏は小野妹子の子孫といわれているそうだ。