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御祭神は、天忍穂耳命 ( あめのおしほみみのみこと)であり、後鳥羽天皇の代に京都の許波多(コハタ)神社から分霊したと伝えているそうだ。

旧号を鮎川神社と称え、本宮が柳山にあるので柳明神と改めた、更に明治の政令により妻田神社と称えている。慶田位置は四百三坪、江戸時代には社領三十石所有地は一九一三坪であった。社殿、慶應二年(一八六六)に改築した。天正一九年(一五九五)の朱印状は珍らしく県に保管してある。各所に在った小社もここへ移し別当教福院もこの際に廃寺となった。元の参道は教福院の南にあったので鳥居は移動している。

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