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祇園白川(ぎおんしらかわ)と呼ばれるこの地域は、縄手通の東側、新橋通と白川に面する辺りをいい、祇園東の芸妓、舞妓さんが通うお茶屋が立ち並ぶ非常に古風で美しく、情緒のある街並みで形成されています。

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そして、その街並みは、祇園新橋として伝統的建造物群保存地区に指定されており、その歴史はもともとは、今の八坂神社の門前町として平安中期頃から発展して鴨川東岸の大和大路沿いに八坂神社の参拝客や芝居客相手の茶屋町が作られるようになり、それらは「祇園外六町」と称されました。1732年になると、幕府より正式な茶屋営業の許可が下り、新たに元吉町、橋本町、林下町、末吉町、清本町、富永町の「祇園内六町」が開発されることになります。

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現在の祇園新橋は、このうちの元吉町にあたります。そして、江戸時代末期から明治時代初期にかけて最盛期を迎え、江戸末期には500軒もの茶屋が祇園にひしめいていたといいます。戦後、祇園一帯は歓楽街として乱開発が進み、数多くの茶屋がビルに取って代わられましたが、祇園新橋の人々はかつての茶屋の町並みを守り続けています。

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辰巳神社は、京都御所より辰巳の方向(南東)にあることからそう呼ばれ、もともとは辰巳の方角を守る神社でしたが、祇園の人々の信仰が厚く、特に芸舞妓さんが芸事の上達を祈って訪れるようになりました。ちなみに、辰巳神社の御祭神は狸で、すぐ横の巽橋に 住んでいた狸が、橋を渡る人を化かしては白川の中を歩かせていたそう。困った祇園の人々が、この狸を祀る祠(ほこら)を立てたところいたずらが収まったと伝わります。