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依知地区にて、お客様をご紹介頂きました。

人との出会いに感謝、祈念致しまして、「依知神社」に参拝してきました。

磐筒之男命(イワツツノオノミコト)を御祭神とする依知神社は、縄文弥生の往古より遠い祖先により創建され、郷土の開発に尽力して来たそうだ。

第50代桓武天皇6代の後裔平将門公関東平定の節、当社に参詣し相模川氾濫の苦難を眼前に熟 視され赤城山神馬献進の託宣を給い忽ち堅牢なる護岸の完成が実現したのである。之に感謝感激した 氏子は、将門公の御霊を相殿にして天慶元年(937)社殿を再建し、赤城明神社と称したとされる。

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建久三年(1192)源頼朝公鎌倉幕府を創設せられるや当社の沿革由緒に深く感銘され、拾万余坪に及ぶ 社領を寄進されたという。その境内は、祭り競馬をした所を馬場、大鳥居のあった所を鳥井という地名にして 現代に遺す程の広大なる土地であった。続いて鎌倉幕府第二代将軍源頼家公は建仁二年(1202)当社の社殿 再建記念に銀杏を寄進されたそうで、それが現在厚木市指定天然記念物の神木大銀杏であるそうだ。

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天正十九年(1591)徳川家康公は、当社の由緒経緯と氏子の誠意に深く感動され、御朱印壱石を下賜された のである。以来依知郷の郷社として祭礼も盛大に行なわれ、金田村までも神輿が渡御したと伝承されている。

明治四年広大な社領も維新の大改革により上知となり、ついで社地の払い下げを得て同二十七年七月十九日に 依知神社と社号を改名し現代に至っているのである。

当社は上記の通り千有余年の往古ささやかな一農村の守護神として創建され、霊験あらたかに郷土発展の 支柱となり、氏子住民は言うに及ばず他地域有名人の崇敬も受けて来たのである。その間天変地異栄 枯盛衰の試練に堪えて祖先は、新築造営、維持修繕を幾度も繰り返し神社を護ってきたのである。

昭和現代の今ここに氏子崇拝者一同の絶大なる浄財の集結を得て、荘厳なる社殿増改築 を完遂したのである。神社殿の大前に益々諸難や治安の守護神とし、又五穀豊穣 大願成就 家業繁昌の神として、地域住民 の福祉安泰を鎮守されるよう畏み畏み祈願するものである。

昭和五拾七年四月二十五日依知神社社殿改築造営の竣工に当たり記念碑を建立し、当社の沿革由緒を延べ後 余に伝える次第である。