いつだったかのブログで、昨年度は子供達の七五三、引越し等、節目となることがあったので、気持ちを新たにするために神棚を設置することにしたことをご案内致しました。
このブログサイトをご覧になって頂いている皆様の中には、弊社で御自宅を購入頂いたお客様、新築・増改築を行って頂いたお客様、店舗や事務所を開業されたお客様、また今後、予定・検討されている方、その他、お子様のご出産や入学、成人の時や厄年になる方等、神棚を設置される方もいらっしゃるかと思いますので、色々と調べてみました。
寄せ集めの情報ですが、是非ご参考にして頂けたらと思います。
さて、先日、初めて神棚をまつる場合は、氏神さまの神社に依頼して神棚のお清めと今後の末永いご加護を祈願するために、神棚祓をしていただくと良いという話を聞いたので、早速、近所の厚木神社に行ってお祓いしてもらってきました。
【厚木神社について・・・】
厚木神社は、円融天皇天延年間(973~975)藤原伊尹の勧請と伝え、当時郷内の田村掘にあったが、後現社地に遷す。
那須与市別当寺を置く。中古旧藩主の崇敬厚く、明治元年牛頭天王の称を改め厚木神社とす。(『神社名鑑』昭和三十六年)
明治六年に惣鎮守の船喜田神社と古の惣鎮守の熊野神社を合祀した。しかし当該地区の住民は旧地に社殿を設けて引き続き祀っている。
相模川の西側に西を向いて鎮座している。町中の平地の神社であり、木々もそれほど多くはない。摂社が社域に点在しており、その向こうに町の姿が見える。
また境内には、厚木稲荷神社があります。
厚木稲荷神社は安永6年(西暦1777年)牛頭天王社の別当智恩寺住持 法印高観(安永年代寂)が京都伏見稲荷社の分社をここに歓請したことにはじますという以降この地が天王町と呼ばれるようになると天王町の有志が「稲荷講中」を結成して祭祀をするようになり毎年2月の初午祭りが盛大に挙行されて来た
稲荷講の書類は講中の人達の家を持廻りとなっていたが慶応3年(1867)11月の厚木宿の大火の際焼失烏有に帰した
明治15年の大火後土蔵造りの建物として内部に社殿を祀り子供達が中に入れるものであった これも関東大震災に破壊焼失した天王町内で稲荷神社再興の議が起り全町を氏子として寄進を得て昭和7年10月30日地鎮祭 翌8年1月13日上棟式 同年2月初午祭を期して19日夜遷宮祭 20日新殿祭 21日に大祭が盛大に開催された 社殿の建築は厚木町松枝町に居住する半原の宮大工棟梁河内福賢氏によるものである(鈴村茂氏 厚木稲荷神社由緒より)
社殿建立50余年を経過してぬれ縁 玉垣等が損傷し大改修工事を施工する必要となり天王町自治会役員が中心となって改築計画を作成し天王町を中心とした有志の寄進を得て昭和59年1月着工し同年2月完成同月6日初午の日を期して遷宮式大祭を行う
社殿の建築は厚木市飯山大工落安義治 石工は当時秋元邦男氏である
以上今日までの由来を記したるものである。
また、よく日取りを重視する話もあり、良く聞く話の中では、神棚を購入する日を気にする方が多かったが、本来は神棚をまつる日が重要だそうです。
一応良いとされる日柄を順番に並べておきますので参考にどうぞ。
大安(たいあん):何事をするのにも上吉の日、友引(ともびき):朝夕は祝い事に用いて吉、ただし正午のみ凶、先負(せんまけ):諸事控えめに静観が良い日、午後は大吉(元々は小吉で良日にあたる)、先勝(せんかち):急用や訴訟などに用いて吉の日、ただし午前中は吉だが、午後は凶、赤口(しゃっこう):新規事開始、その他の何事をなすのも忌むべき日、ただし午前十一時から十二時の一時間だけ吉、朝夕は凶 、仏滅(ぶつめつ):何事をするにも忌み慎むべき、大凶の日 の順番となります。
さて、「神棚」とは漢字の読みのとおりで、神の符を祭る棚のことで、一般的に家に設置するのは、家庭の幸福を願う家庭祭典の中心の場所となり、日常の感謝や崇拝の心を示す場所となります。
通常は天照大神(※1)を中心として、氏神、各自の信奉する神、そして祖先神を祭っています。
通常、神棚は高い場所に設置されるので、小さく見えてしまうかと思いますので、売り場での見た目より一回り大きいお宮を選ぶのが良いのではと思います。
私は、気にせずに小型(安いもの。。)を選んでしまったので、やはり少しこじんまりと感じてしまいます。
一般的に見られるのは小型の神社を摸した宮形(みやがた)の中に伊勢神宮(※2)や氏神(※3)、信仰する神の神札(お札)(※4)を入れるもので、これは札宮(ふだみや)といい、狭義にはこれを神棚と呼ぶ。
神職の家など神式で葬儀を行う家には、仏教の仏壇に相当する祖先の霊を祀るための神棚があり、これは御霊舎(みたまや)(※5)という。
他に、神札よりも神の依り代としての意味合いが強い「御神体」を祀る神棚もあるようだ。
その場合は神棚ではなく「御神体」を授与した神社の分社とみなすほうが自然だ、とする考え方もあるそうです。
神棚は、明るく静かな高い所、お供えや御参りしやすい所、家庭では家族が主に集まる部屋、会社や事務所であれば主となる場所、神棚の下を頻繁に人が通らない所、廊下やトイレの真下にならない所、最上階(または上に上階の床のない箇所)の天井近くに南向きまたは東向きに設置することとされているそうだが、適当な場所が無い場合は、方角にこだわらずその部屋の静かな場所に設置することが良いこととされているようです。
アパートやマンション等の共同住宅にお住まいの場合等、最上階の設置が困難な場合は、「天」または「雲」と書いた紙を天井に張り、その下に設置する。
また、お参りした時におしりが神棚や仏壇に向かないようにするため、仏壇と同じ部屋におまつりしなければならない場合は、向かい合わせにしてはならない。
神札を納める宮形には、神札を入れる箇所が3箇所のものと1箇所のものとが多いが、大型の神棚では5箇所あるいは7箇所以上のものもある。3箇所ある場合は、中央に伊勢神宮の神札(大麻)、向かって右に氏神の神札、左にその他の崇敬する神社の神札を納める。
1箇所の場合は、前から伊勢神宮・氏神・崇敬神社の神札の順に重ねて納める。
神棚の正面には神鏡、左右に榊、灯明を配し、神棚の前方に注連縄(※6)をかける。
このほか真榊(まさかき、ミニチュア)、雄蝶・雌蝶といった御酒口(ミキグチ)をあつらえた飾り徳利(多くは九谷焼風)、御幣(金幣)などが神具セットに含まれている場合があり、ほかにも各家庭でさまざまな縁起物(破魔矢、熊手など)が飾られている例が珍しくないそうだ。
神饌(お供え)(※7)としては、洗米(またはご飯)、塩、水、酒が基本であるが、そのほかその年の初物(青果物、生魚、干物、菓子類等)などが供えられるのが一般的だそうだ。
米、塩、水は毎朝、酒及び榊は月に2度(通常は1日と15日、ほかに祀っている神札の祭神にゆかりの日)新しいものと取り換えるのがよいとされている。ほかに合格通知や祝物の熨斗紙などが捧げられる場合もある。
神社本庁が推奨する神棚への拝礼方法は神社と同様「二礼二拍手一礼」であるが、「二礼四拍手一礼」などさまざまな流儀がある。
【神棚の取替え・処理について・・・】
土地柄によっては毎年取り替える地域もあるが、伊勢神宮など二十年に一度建て替えするように、一般家庭の神棚でも二十年程度で新しくする方が良いと思われる。
また、神棚を初代からの家宝としてまつる家庭もあるが、神様にとっては新しく気持ちの良い住まいが好ましいそうだ。
古いお神札は、神社で定められた日に、お清めし焚き上げ(各神社で古神札焼納祭(ごしんさつしょうのうさい)〝どんど焼き〟が行なわれているので、可能な限りお神札を購入した神社へ納める。)、古い神棚は正月に限らず、神社に持って行き玉串料を添えて納め、神具は、本来、神社に納めるものだが、どうしても神社での受取ができない場合は、塩で清めてから燃えないゴミとして出しても構わないそうです。
以下、参考サイト、
・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』http://ja.wikipedia.org/
・注連縄(しめなわ)の豆知識:http://simenawa.org/
・開運の扉:http://door.kaiunclub.com/
・東京都神社庁:http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/
・神社本庁:http://www.jinjahoncho.or.jp/
・神奈川県神社庁:http://www.kanagawa-jinja.or.jp/
・静岡県神社庁:http://www.shizuoka-jinjacho.or.jp/
※1 天照大神:
太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)のひとつとされる。
『古事記』においては天照大御神(あまてらすおおみかみ)、『日本書紀』においては天照大神と表記される。
別名・大日孁貴神 (おおひるめのむちのかみ)。 『日本書紀』においては複数の神名が記載されているのに対し、『古事記』においては「天照大御神」という神名で統一されている。女神であるが、実は男神だったという説も存在する。
天照大神という神名が、『皇太神宮儀式帳』など政治的な部分で用いられていることから、三品彰英や西條勉が論じているように、本来は高御産巣日神(高皇産霊尊)が皇祖神であり、ヒルメが皇祖神化して天照大神になったとする説もある。
伊勢神宮においては、通常は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、あるいは皇大御神(すめおおみかみ)と言い、祭事の際神前にて名を唱えるときは天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)などとも言う。
学術的な文書では現在では「アマテラス」と片仮名書きが慣行となっている。古くは天照太神と書かれたという説も存在する。
天照大神を祀る神社を神明神社といい、全国各地にあるが、その総本社は神宮(伊勢神宮)の内宮(皇大神宮)である。
皇大神宮は三種の神器のうちの一つ八咫鏡(ヤタノカガミ)を御神体として安置する神社である。
日本全国のほとんどの神社で皇大神宮(天照皇大神宮)の神札(神宮大麻)を頒布している 。
現在は存在しないが熊本県の八代市には上古に天照大神の山陵が在ったと伝えられる。
※2 伊勢神宮:
三重県伊勢市にある皇室の祖先をまつった宮で、神明造[しんめいづくり]という独特のつくりかたの建物で知られています。
江戸時代には庶民による伊勢詣[いせもうで]がさかんに行われたそうです。
※3 氏神:
氏子が住んでいる地域をお守りする神社で、古くは同じ一族(氏族)が祀っていた神さまを氏神さまといったが、のちに主として地域の守り神を意味するようになった。
氏神に守られている地域の人々すべてを氏子といい、住所によって氏神・氏子の関係が決まるそうです。
※4 神札:
神社が頒布する護符で、通常お札(おふだ)と呼ばれるが、お守りとも呼ばれる守札も神札である。
神札は、神名や神社名・天照皇大神宮(アマテラスこうたいじんぐう)
また神を象徴する物を紙、木札、御神砂、御神水、金属片などに記したものである。
通常、年末に神社が頒布(神宮大麻、氏神大麻、竈荒神札、大歳神様、戸口・柱・天井の関札など)し、各家庭で神棚に納める。
また、門や柱に貼ることもある。一年の家内安全・無病息災などを祈る。
伊勢神宮が直接頒布し、又は神社本庁経由で頒布する神宮大麻(じんぐうたいま)(または単に大麻(おおぬさ、たいま))が代表的である。熊野三山で頒布される熊野牛王符(牛王宝印)は、平安時代から近世には裏面が起請文に用いられた。
※5 御霊舎:
神道において祖先の霊を祭るための神棚である。屋内神殿のひとつ。
霊舎・霊屋・霊棚(たまだな)・霊床(たまとこ)・神道壇(しんとだん)などともいう。神社本庁では霊舎としている。
神社の中にある祖先の霊を祀る施設は祖霊社と表記して区別する。
神道による祖先祭祀において、仏壇に代わる物として登場した。
神棚よりも低い位置に祀るものだとされている。設置の向きや日々のお供えや拝礼の作法は神棚と同じように行なうが、順番は神棚の後にする。仏教における仏壇に当たるものだが、本来仏壇とは仏像を祭るためのものであるのに対して、祖霊舎は祖先の霊を家の守護神として祭る点に大きな違いがある。神璽を中心に祀る。
※6 注連縄:
注連縄(しめなわ)を張っているところは神前や神聖な区域に、外からの不浄なものを触れさせないという意味があるそうです。
つまり神聖な場所を不浄なものから仕切るための縄なのです。
注連縄には前垂れ注連縄、牛蒡注連縄、大根注連縄などいくつかの種類があります。
神代の時代、天照大神が天の岩戸からお出になった後、岩戸に縄を張り再び中に入れぬようにした。
この縄は「尻久米縄」と云われたと古事記に記され、しめなわの始まりとされている。
又しめなわには清浄・神聖な場所を区画するため引き渡される。
これが神社などに掲げられる意義である。
従って神社のみならず、巨大な岩や樹木、清浄な井戸、瀧、寺院にも掲げてることろもある。
正月、門松とともに戸口に注連飾りを置くのも、上述の意義より家の中に悪霊を入れず、穢れをさり無病息災・家内安全を願ってのことである。
飾り始める日は地域によって風習は異なるが、現在ではクリスマス後から28日までに飾る事が一般的である。
29日と31日に飾る事は縁起が悪い事とされている。31日に飾る事を一夜飾りといい、迎え入れる神様に失礼であるとされる。
飾りを取り外す日も地域によって風習が異なり、1月7日に七草がゆを食べた後、若しくは15日に取り外すとされ、松飾りの飾る期間と同じ扱いでいいとされているそうだ。
※7 神饌:
神に供える食物のことで、素材をそのまま供える生饌、調理したものを供える熟饌などがあります。
最初は神饌として米の初穂を捧げていたことから、神の恵みに感謝を捧げるときに初物を捧げる習慣ができたといわれています。
一般的に神棚へは米、水、塩を神饌として毎朝供えることとされています。