伊勢山皇大神宮(いせやまこうたいじんぐう)は、横浜市西区にある神社である。 天照大御神を祭神とする。単に「皇大神宮」とも称される。旧社格は県社。横浜の総鎮守とされ、「関東のお伊勢さま」として知られている。

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皇室の祖神様で、伊勢の神宮[三重県伊勢市鎮座]の内宮(ないくう)の御祭神と同じ『古事記』にその昔、日本の国造り、神造りをされた伊邪那岐神(いざなぎのかみ)が、妻の伊邪那美神(いざなみのかみ)を慕い黄泉(よみ)の国へ行かれた穢(けがれ)を、筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あわぎはら)で禊祓(みそぎはらえ)をなされた時に、左の御目より成りませた神と伝えられます。その後、二神の詔命によって高天原(たかまのはら)[全世界]を統治なさる様になりました。

また、御名の如く、天高く輝き亘(わた)る日輪[太陽]の意で、この世に生きとし生けるもの全ての誕生から、生成発展を司り、その御神力は、この世になくてはならぬ真に尊く偉大な御神徳です。また、天の岩戸の神話はあまりにも有名で、その時岩戸にお隠れなされた大御神をこの世にお戻しする為に、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が舞い、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が岩戸を開け、大御神は自らの光の照り返しに誘われてこの世に戻られました。この時に使われた八咫鏡(やたのかがみ)は三種の神器の1つとして、後に伊勢神宮に奉斎されました。当宮では、この神話をもとに絵馬に描き、社頭授与しております。

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『関東のお伊勢さま』と親しまれる当宮は、明治初年に国費を以て創建された神社であり、神奈川県の宗社、横浜の総鎮守とされています。かつては、久良岐郡戸部村の丘陵に鎮座されていましたが、神社名、創建年代共に不明です。明治維新後、神仏分離、国家神道の時代を迎え、当地横浜が国の貿易の要として開港されるに及び、人々の心を1つにし、外国との国柄の違いを胸に刻み、国家の鎮護を祈る事を目的に、明治3年4月14日、時の神奈川県副知事井関盛艮氏が太政官に対し建白書を送り、『伊勢山に皇祖の御社を勧請あれば、高麗の宮殿を創立し、国家の鎮護を祈り、人民をして、崇敬胆仰せしめん』との布告を戴き、社殿を始め、境内の整備が開始されました。翌年4月15日、社殿並びに境内施設が竣工し、正遷宮が執り行われ、横浜の町を挙げての初めてのお祭りは壮大華美を極めた様子でした。また、この時、地名も野毛山から伊勢山へと変えられました。

明治5年の太陽暦採用に伴い例祭日は5月15日と改められ、戦前の御祭礼には市内官公庁を始め、会社、工場、学校に至るまで休日となり、まさに市民を挙げてお祝い申し上げたとの事です。当初の氏子総代は大谷嘉兵衛・幸兵衛、茂木惣兵衛、箕田長二郎、近藤良薫氏など、日本の経済・政界に君臨された横浜の重鎮たる人々で、以後も横浜の名士の方々が総代に就任されています。

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境内は3900余坪、御社殿は神明檜造(しんめいひのきづくり)で、太古の掘立造の面影を残し、屋根の千木(ちぎ)[角のような形]と鰹木(かつおぎ)が特徴です。創建当時の社殿は関東大震災の災禍を蒙り、ことごとく倒壊し、現在の社殿は昭和3年に復旧建造されたものです。
表参道の二の鳥居は、昭和45年に御鎮座100年を記念して横浜金沢の相川文五郎氏より寄贈されたもので総檜造、一の鳥居は昭和55年に御鎮座百拾年を記念して建て替えられました。

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