まだまだ、「お伊勢詣で」です。

八百万の神々の最高位、天照大御神を祀る、伊勢神宮の内宮参拝が続きます。

正宮からの散策していると、「御稲御倉(みしねのみくら)」があります。

神宮神田で収穫されたイネは抜穂(ぬいぼ)にして、御稲御倉へ納められるそうだ。御倉のイネは内宮の祭祀に合わせて取り出され、大御饌として天照大神に捧げられるようで、すなわち内宮穀倉として利用されているようだ。

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古式に則り、装束をまとった神職が御倉へ納めるそうで、御倉からイネを取り出すことを御稲奉下(ごとうほうげ)と称し、前日から参籠潔斎(さんろうけっさい)した神職が行うこととされている。なお、神宮式年遷宮の祭事の1つで、正殿の床下に柱を立てる「心御柱奉建」で用いる心御柱も御稲御倉に納められる。

社殿は内宮と同じく、唯一神明造である。高床の切妻屋根で、千木・鰹木を備えるなど、内宮の東西宝殿や外幣殿に酷似した構造であり、内宮の方角を向いて建っており、玉垣や賽銭箱はない。

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御稲御倉より進むと、外幣殿(げへいでん)が。

ご正宮瑞垣内の東宝殿を内の幣帛殿(へいはくでん)とすれば、これは外の幣帛殿にあたるものであり、古くは皇后陛下・皇太子殿下の幣帛や古神宝類を納めていたが、現在は古神宝類が納められているそうだ。なお、外宮の外幣殿は御垣内にある。

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天照大神荒魂を祀る内宮の別宮は境外に瀧原竝宮(たきはらならびのみや)があるが、ここ「荒祭宮(あらまつりのみや)」は内宮に月讀宮、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮、瀧原宮、瀧原竝宮、伊雑宮、風日祈宮、倭姫宮と、あわせて10ある別宮の中で第1位とされる。

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内宮正宮参拝後に参拝するのが正しいとされ、正宮石垣の角の籾種石(もみだねいし)を右手に見ながら右へ進み、稲を納める御稲御倉、古い神宝を納める外幣殿を左手に見ながら進んだ先の石段を一度降り、次の石段を上った先に荒祭宮がある。

なお、石段を上った先にある荒祭宮に参拝できない方々のため、籾種石の近くに石畳の荒祭宮遥拝所が設けられている。

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内宮一のビュースポットと言われる「風日祈宮御橋」は長さ45.6m、幅4.6mで、内宮前の宇治橋を小さくしたような橋である。最初にかけられたのは室町時代の1498年(明応7年)で、南端の擬宝珠(ぎぼし)に「太神宮風宮 五十鈴川御橋明応七年戌午本願観阿弥 敬白」と刻まれている。

古くはこの橋がかかる川が五十鈴川本流とされており、この橋を五十鈴川橋と呼んだそうで、もっとも長い川が河川の本流と定義され、島路川と呼ばれてからは風日祈宮橋と呼ぶのが一般的となったそうだ。

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風日祈宮橋を渡ると、風の神を祀る「風日祈宮(かざひのみのみや)」」が。祭神は外宮(豊受大神宮)別宮の風宮と同じ級長津彦命・級長戸辺命を祀る。

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風宮が別宮となったのは1293年(正応6年)で、1923年(大正12年)創建の倭姫宮の次に新しく、順位は内宮別宮10社中9位とされる。
古くは現在の末社格の風神社であったが、1281年(弘安4年)の元寇の時に神風を起こし日本を守ったとして別宮に昇格したそうだ。